折り紙クリエイターshokoの 折り紙の日々

折り紙が1枚あれば、5分後には何かが出来上がっています

1984年10月18日1時21分

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君の余命は後2年。
そんなことを言われてから1年と少しがすぎました。腰まであった髪の毛は起きる度にどんどん抜けて、あの頃トイレに行くことさえ満足に出来ずにいた私は泣いてばかりいました。
1984年10月18日1時21分私はこの世に生を受けました。
私の名前の「祥子」の「祥」は母親が世界で一番好きな漢字です。
子の書き順が了→一。
楽しいことや幸せなことが終わってしまっても(了)、また新しく楽しいことや幸せなことを一からはじめられますように。
私は自分の名前が大好きです。
そして、あの頃が嘘のように私は今とても元気です。
それでもいつ死んでしまうか分からない私は2人に夢を叶えてもらいました。
宝積學さんに依頼をして遺影を。
鯰美紀さんに依頼をして私の家族の思い出の話を聞いていただき文字にしてもらいました。
この場を借りてお礼申し上げます。

下記は、私がとりとめもなく話したことを鯰美紀さんが文字という言葉を使い手紙にしてくださいました。
大好きなお父さん、お母さんへ
おかげさまで、この度、33歳の誕生日を無事に迎えることができました。
ここまで私を育ててくれた大好きなお父さんとお母さんに、「ありがとう」の気持ちをきちんと伝えておきたいと思い、私からの手紙を贈らせていただきます。2016年の4月に私は体調を崩し、「私は命の現場で働いているのに、私自身の命や人生を大事にしていないかもしれない」と感じました。
人間、いつ、何があるかわかりません。「これからは、自分のことも大事にし、好きなことをして生きよう」、「今までやったことのないことにチャレンジしていこう」と決めました。それもあって、32歳の誕生日は、「私のことを知っている人が誰もいない場所で迎えてみたい」と、一人でベトナムに行きました。ベトナム旅行では、日本での当たり前、たとえば、人からの親切や安全は、決して当たり前ではないのだと気づくことができ、平和で恵まれた日本の生活に感謝しないといけないと感じました。
この一年、新しいことに少しずつチャレンジする中で、人生の楽しみ方がわかってきたように思います。たくさんの新しい出会いもありました。
改めて、誕生日は周りの方に「ありがとう」を伝える日だなと感じています。
誰よりも、お父さんとお母さんに、「ありがとう」を伝えたくて、今まで33年間のことを、ふり返ってみました。

お母さんへ
保育園に迎えに来てくれたお母さんの姿が、私の中での、お母さんの最初の記憶です。お母さんは、お迎えのときに、絶対に「ごめんね」とは言わないで、「待っていてくれてありがとう」と言っていましたよね。
私が、保育園の先生に、「好きな食べ物は、温かいご飯と鮭の皮」と答えたことが、家族の笑い話になっていますが、ご飯も「作れなければ買えばいい」という感じで、肩の力が抜けているお母さん。送り迎えも、仕事も、夕食の準備も、全然大変そうな素振りは見せず、当たり前のようにニコニコとこなしていたお母さんのことを、今ではとても尊敬しています。
夏休みが終わると開催される9月1日の防災訓練のときに、私たち学童保育の子ども達の母親は、迎えに来ることができませんでした。そのことを、「かわいそう」と言った大人がいましたが、私はそれを聞いて、とても腹が立ったのを覚えています。働いているお母さんのことは誇りだったし、私は、「お母さんが働いていなければいいのに」、と思ったことは、一度もありません。お母さんの職場に行かせてもらったり、職場の忘年会に参加したりしたのも、楽しい思い出です。お母さんは、仕事場の同僚とも清掃の人とも仲がよく、会社の花壇に勝手にチューリップを植えたりして、楽しく自由に働いている姿には感心しています。職場のハワイ旅行のときは、カレンダーの裏に、「ハワイに行ってくるね」などと、私に向けたメッセージを残してくれていましたね。そして、たくさんのお土産を抱えて帰ってくれていたのを覚えています。
お母さんが、楽しそうに働く姿を見せてくれていたおかげで、私は、女性でも働くことは普通だと思っていたし、「仕事は楽しいものなんだ」と思うことができました。お母さんがずっと働いている姿を見ていて、私自身、一生何らかの仕事をしていたいなと思っています。
小学校の理科の授業で、花について習った日、家に帰ってお母さんに「花ってどうやって咲くのかな」と聞いたら、次の日、コスモスの種を買ってきてくれて、一緒に植えましたね。お母さんは、「明日から早起きしよう」と言って、翌日からみんなで5時に起きて、毎日コスモスが育つのを観察して。ある朝、花が咲く瞬間を一緒に見ましたね。
お母さんは、とても器用で、一緒に選んだ生地でワンピースを作ってくれたりしました。ひな祭りのときに着ていたキティちゃん柄の洋服は、特に印象深いです。当時は、お母さんが洋服を作ってくれるのは普通のことだと思っていましたが、全然、普通じゃないですよね。忙しいのに、いつ作ってくれていたのか、今思えば不思議です。
お母さんは、家の中を最後はほうきで掃除をしていたので、夜、布団の中で、ほうきの音が聞こえると、「あ。お母さんがいるなぁ」と安心感に包まれながら、眠ることができました。
高校生のときは、毎朝一緒に家を出て、駅まで競争。お母さんはヒールなのにすごく速くて、いつも私が負けていたのを覚えています。

誰からも好かれるお母さん
私から見たお母さんは、とにかく元気で、明るくて、いつも笑っていて。思慮深くて、頑張り屋さんで、感情が豊かで、気前がよくて、ときどき抜けたところもあって…。私は、お母さんみたいにおもしろい人はいない、と思っています。
従兄のけんちゃんが亡くなったときは泣いていたけれど、それ以外で、お母さんが泣くのを見たのは、マイケルジャクソンが亡くなったとき、CMで『フランダースの犬』のネロが死んだとき、感激したときぐらい。自分のことでメソメソしている姿は見たことがありません。

お母さんのすごいところは、親戚のみんなも、お母さんの同僚も友だちも、私の友だちも、みんながお母さんのことを大好きなこと。麻美に「ほんと、あっこちゃんのこと好きだよね」と言ったら、「当たり前じゃん、あっこちゃんのことをキライな人なんかいないよ」と言ってくれましたが、私も本当にそう思います。
お母さんの周りにいる人は、みんな楽しそうにしています。和の中心になって、みんなをまとめることもできるし、ふざけて笑わせることもできて、そのバランスが絶妙だと思っています。
お母さんは5人姉弟の長女でしっかりもしているし、抜けているところもあって、とてもお茶目。妙に怖がりで、ゴキブリを見て叫んだりするところは、かわいい・・。
いつだったか、私が仕事帰りに秋葉原を歩いていたら、「ワー」という楽しそうな声が聞こえて、「あれ?」と思ったら、楽しそうに自転車に試乗しているお母さん。お父さんは、それを横で見ていて…。小さい頃、お父さんに、「どうしてお母さんと結婚したの?」と聞いたら、「だって、絶対に飽きないでしょう?」という答えだったけれど、本当だなと思います。

礼儀を教えてくれて、ありがとう
お母さんが一番厳しかったのは、礼儀やマナー。言葉遣い、お箸の持ち方、ご飯の食べ方など、厳しくしつけてもらいました。電車の中でマナーが悪い人がいると、お母さんが「あーよかった。祥ちゃんがあんな人じゃなくて」と言ったりするのを聞いて、私も自然と、「あれは、いけないんだな」と、気づくことができました。
私がプレゼントをもらって、「お礼の電話が面倒だな」と言ったときも、「そういうことは、きちんとしないとダメ」と教えてもらいました。ご祝儀袋の折り方について、「幸せは溜まるように。不幸は流れるように」と教えてくれたのは、今でもすごく役立っています。
礼儀には厳しかったお母さんですが、「宿題をしなさい」とは一度も言われた覚えがありません。私が苦手な「足」という漢字を、お母さんが一緒に練習してくれたのに、テストで間違えてしまったとき、私はとてもショックで、落ち込みながらお母さんに見せたら、大爆笑されました。だけど、私がちょっと抜けているのは、お母さん譲りだと思っています。

お母さんからもらった言葉
お母さんとは、たくさんお話をしてきましたね。私は、先生や友だちのことなどを聞いてもらっていたし、お母さんは、職場の楽しい話をたくさん聞かせてくれました。たとえば、私が職場の人の愚痴を言っても、お母さんは、もっとイヤな人の話をユーモアたっぷりに話してくれるので、「私の悩みはたいしたことがないな」と思えたりして、本当に助けられました。
お母さんは発想が豊かで、おもしろい話がつきないので、一緒にいてとても楽しいです。お母さんからは、たくさんの言葉をもらいましたが、よく覚えているのは、こんなことです。
・小学生のとき:読書は、大人になったら老眼になって読めなくなるから、今のうちに読みなさい。

・私が、「どうしてお父さんと私と、お小遣いの額が違うの?」と聞いたとき「責任があって自由があるのです。お金の使い途に責任を取れないなら、自由はありません」

・社会人になったとき
「遊んでも、飲んでもいいけれど、お金をもらっている以上、次の日の仕事に支障が出る遊び方はダメ」

看護学校が忙しくて、「ほかの女子大生は、おしゃれも楽しんでいていいな」と言ったとき
「進路を決めてちゃんと勉強しているのと、何も考えないでただ大学生活を楽しむのと、どっちがいい?」
 
・私が、「職場にイヤな人がいる」と言ったとき
「すぐいなくなるから大丈夫」

・高校入学の時に山田詠美の『放課後の音符』をプレゼントしてくれました
「お金や時間のムダをたくさんしなさい。それがいつかは価値になるから」
「集団から嫌われるような女の子、そんな子にも魅力的なところがあるから、それに気づける人になれたらいいね」
 
恋愛でつらいことがあったとき、「お母さんに嫌われたらイヤだな」と思いながら報告したら、お母さんは「自分が納得するまでやりなさい。がんばりなさい!」と笑って言ってくれました。お母さんの言葉は、いつも前向きで、励まされています。

お母さん、いつもありがとう。
お母さん、いつもありがとう。とにかく元気で、周りを明るくするムードメーカーのお母さん。私にはないものだから、「すごいなぁ。秘けつが知りたい」と思って見ています。
お母さんのおかげで、私も読書好きになって、いつも本を勧めあったり、感想を言い合ったりできるのも嬉しいです。先日は、布草履を一緒に作ったよね。私がお母さんに教えられることなんてないと思っていたけれど、とても楽しかった!これからも、たくさん一緒にご飯を食べに行ったり、旅行をしたりしましょう。

お父さんへ

たくさん遊んでくれた子ども時代
お父さんには小さいとき、たくさん遊んでもらいました。公園で、一輪車やローラーブレードの練習につきあってくれたり、キャッチボールをしたり。小学校のとき、学童のオセロ大会で勝ちたくて、家でもお父さんに練習をつきあってもらいました。お父さんは、子どもだからと手加減することなく、本気でやってくれたので、小2、小3の大会では優勝することができました。

「優しさ」や常識を教えてくれて、ありがとう
12歳の頃、西日暮里にお墓参りに行った帰り道、お父さん、お母さん、私の3人で歩いていたときのこと。前から男性が歩いてきて、周りの人は、その男性を避けていたのに、お父さんがその人の方に寄って行ったので、私はびっくりしました。しばらくして戻ってきたお父さんは、「目が見えない人だった」と説明してくれました。私が、「お父さんって、優しいね」と言ったら、お父さんは、「これは『優しい』じゃないよ。普通のことなんだよ。祥子は『優しい』と思ったかもしれないけれど、お父さんはこれを『優しい』とは言わないよ」と言われました。「お父さんは、どうして、その男性は目が見えない人だと気づいたのだろう」ということも不思議だったし、それからずっと、「優しいって何だろうな」と考えています。どちらにしても、私は、お父さんはすごく優しいと思います。そして、お母さんも、お父さんのその絶対的な優しさが好きで結婚したのだと思っています。

5年ほど前に、通勤途中で、嘔吐で制服を汚した女子中学生に遭遇したので、医務室に付き添って行ったら、後日、その子の保護者から、職場宛てに礼状が届きました。職場の人には褒められたけれど、私は、「普通のことをしただけ」と思っていました。これは、お父さんが自分の行動で大事なことを伝えてくれたおかげだと思っています。
その礼状を見たお父さんには、「もし君が逆の立場でも、このようにお礼を伝えられる大人になりなさい」と言われました。私が、「お礼状にも返事を書いた方がいいと思う?」と聞いたら、「相手の方が気を遣うから、ここで終わりにしていい」と教えてくれました。お父さんには、こうした社会人としての常識なども、教えてもらいました。
そういえば、おじいちゃんとおばあちゃんに会いに行く途中で、私が「遠い!」と不満を言ったとき、お父さんが、「おじいちゃんとおばあちゃんは、祥子が来るのを楽しみにしているのに、どうしてそんなことを言うんだ?」と注意されたことも、覚えています。

大変な姿を見せないお父さん
お母さんから、お父さんは、1人だけ小さい頃に家庭の事情でよその家に預けられたことがある、と聞きました。でも、私はお父さんから一度もその話を聞いていません。お父さんは、不幸自慢や愚痴を口にしない人です。
仕事も大変だと思うけれど、「こんなにがんばっているのに」とか、「食べさせてあげているのに」とか、そんなセリフも聞いたことないし、決して子どもに当たり散らさないお父さん。
私は一度、仕事のあとにお酒を飲んで帰ってきたお父さんに、「どうして飲むの?」と素朴な疑問を投げかけたことがあります。お父さんは、「イヤなことあっても、外で飲んで解消してから家に帰った方が、家で楽しくいられるでしょ?」と言っていましたよね。
私の前で弱いところを見せないお父さんでしたが、私が中学生のときに一度だけ、「お父さん、死んだほうがいいかな」と口にしたことがあります。私は、「ダメダメ」という感じで答えたはず。きっと、その時のお父さんは、すごく仕事が忙しくて、体調もよくなかったのだと思います。私がお父さんから少し弱気な発言を聞いたのは、その一回だけです。


お父さんと身につけた生活習慣
 お父さんがキライなことは、デブと眼鏡と虫歯。そして、「この3つは親の力でどうにでもなる」というお父さんの持論のおかげで、私はデブでもなく、視力も23歳まで1.5だったし、虫歯になったこともありません。歯については、小学3年生まで、毎晩お父さんが仕上げ磨きをしてくれていました。当時は、それが普通だと思っていましたが、そうではないですよね。小さい頃、虫歯になるから、チョコレートも食べたことがなかったので、保育園でおやつにチョコレートが出たときは、黒いかたまりにびっくりして泣いたというエピソードも。おかげさまで、小学生の間は、ずっと歯科優良賞をもらえていたし、今もどんなに疲れていても、歯を磨かないと寝られません。良い習慣をつけてくれたお父さんには、本当に感謝しています。
 お父さんは、言葉遣いに厳しくて、おじいちゃんが、「くそばばあ」というようなことを言ったときは、「祥子の前で、そういう言葉は使わないで」と、おじいちゃんに対して怒っていたことを覚えています。

相談にのってくれて、ありがとう
「大事なことはお父さんに相談する」と決めています。高校2年生のときに、看護師になると決めました。看護師になりたいと思ったきっかけのひとつは、おばあちゃん。おばあちゃんが入院しているとき、「どうして、この病院の看護師さんは、おばあちゃんに冷たいの?」と疑問を口にしたら、おばあちゃんが、「看護師さんは忙しいから、そんなものよ。祥子が看護師になってみたら、わかるんじゃない?」と言っていて、その言葉が心に残っていました。手に職をつけて自立できる職業、全国どこでも働ける職業だったことも、大きな理由です。
高校2年で、「看護師になりたい」とお父さんに伝えたとき、「自分で責任を取れるなら、学校のお金も出すし、応援もする。自分で決めたことだから、看護学校が大変でも、仕事が辛くても、『お父さんが反対してくれなかったから』などと、人のせいにしたらだめだよ」と言ってくれました。小さい頃から、習い事をしたいと言ったときも、「自分でやりたいと言ったのだから、最後までやれよ」と言っていたお父さんらしいアドバイスだったと思います。
進路相談をした阿部先生に、予備校を勧められ、それが6月だったので、「夏季講習から通えばいいかな」とお父さんに伝えたら、お父さんは「本気で合格したいなら、明日から通いなさい」と言ってくれて、次の日から予備校に通わせてもらいました。
看護師試験を2月に受けて、3月末の発表までずっとドキドキ。インターネットで合格を確認して、一番に連絡したのは、お父さんでした。お父さんの会社に電話したら、「良かったね!」と喜んでくれたこと、忘れません。

いつも見守り励ましてくれて、ありがとう
仕事の愚痴を言うと、「仕事があるって幸せなんだぞ」と教えてくれたお父さん。「仕事行きたくない」とお父さんにメールをしたら、「自分の気持ちを大事にしなさい。でも、いやなこと乗り切れないと先は見えないよ。お父さんとお母さんは応援しているよ」というメッセージをくれました。私はそれを読みながら、号泣しました。そのメールは今でも残しています。ずっと大事にしようと思っています。

22歳のとき、職場にどうしても一緒に働きたくない先輩がいました。夜勤が一緒になってしまった日、「体調が悪い」ということを理由にして、早退しました。そのことをお父さんにメールしたら、「築地までおいで」と言われ、行ってみたら、お父さんが会社の人たちを夕食に招待していて、みんなで一緒に食事をしました。職場のみんなに囲まれたお父さんは、家で見る、力が抜けた感じのお父さんとは全く違い、シャキッとした会社の顔でした。部下の人たちは、お父さんのことを、「怒るときは怖いけれど、愚痴を聞いてくれる優しい上司」だと言っていて、みんなにも好かれていることがわかりました。みんなと楽しく話して、「こんな大人たちがいるんだ」ということが新鮮だったし、そういう形で私を励ましてくれたお父さんには感謝しています。

昨年も、看護師をやめようかなと思ったことがあり、お父さんにメールして、「ご飯を一緒に食べられる?」と聞いたら、お父さんは、多分、本当はスポーツクラブに行く予定だったと思うけれど、「いいよ!」と返事をくれました。ご飯を食べながら、ただただ、ひたすら私の話を聞いて、思いを受け止めてくれました。
 

お父さん、いつもありがとう
 いつも相談にのってくれて、いつも味方でいてくれて、ありがとう。私はお父さんの優しいところが大好きです。
いつか、親戚の集まりで、私の結婚式の話が出たら、お父さん泣いちゃったよね(笑)。愛されているな、という実感があります。
昨年の春は、一緒にサクラを見て、鰻やおまんじゅう食べて、とりとめのない話をしたよね。とても楽しかったです。お父さんはイヤがるけれど、私は「もっと一緒にお出かけしたい!」と思っています。これからも、一緒に出かけてくださいね。

お父さん、お母さん、育ててくれてありがとう
看護師として、赤ちゃんを見ていると、「お父さんとお母さんは、よく、この未知なる生物を育ててくれたな」と思います。
私は、この両親のところに生まれて、すごく幸せです。生んでくれて、育ててくれてありがとう。
 お父さんとお母さんには、一度も否定されたことがないし、やりたいと言ったことは、やらせてもらいました。いつも応援されているという実感があります。
私にとって、お父さんとお母さんは、悪いことしたら怒られるけれど、いつも味方でいてくれる人。「いつでも味方だよ」と言ってくれていたから、学校でいやなことあっても、家に帰れば、そこは絶対的な味方がいる空間。日常のちょっとしたことで楽しく盛り上がれるし、今でも、「実家が一番おもしろい」と思っています。
 「反抗期もなかったし、一度も親子けんかをしたことがない」と言うと、みんなに驚かれるけれど、お父さんとお母さんが楽しそうにしているから、反抗する理由もなかったのかな、と思います。
 お父さんとお母さんには、「結婚しなさい」と言われたこともないので、プレッシャーもないし、とても自然体でいられます。もちろん、もし私が結婚相手を連れて行ったら、盛大に歓迎してくれそうですが、結婚してもしなくても、子どもがいてもいなくても、それぞれの幸せの形がある、というのが、私たち親子の共通の考えなのかなと思います。
 仕事のことも、いつも相談にのってくれて、ありがとう。お父さんとお母さんには、患者さんからもらった手紙を見てもらったり、ほかの人には言えないような仕事の話を聞いてもらったり、随分支えてもらっています。
お父さんとお母さんは、私にけんかをしている姿を見せたことがないし、私にとっては、理想的な夫婦です。今でも二人でゴルフをしたり、映画に行ったり、とても仲良しで、ステキです。
33年間、大事に育ててくれて、ありがとう。
20年後も、30年後も、とにかく元気で仲良くしてくれていたら、私はそれだけで嬉しいし、幸せです。
2017年10月18日 祥子

ぬりかべ

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彼女を待ちわびるぬりかべみたいな感じになりました。

十二支チャレンジ〜戌年編〜

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黒も雰囲気がでて好き

伝えること

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大好きな人に大好きって言えることってすごく幸せなんだなって思った。

長い長い爪はいかがでしょう?

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先日お墓参りに行きました。
最近枕元がバタバタうるさい。誰もいないのに。私も従姉妹もそんなことを思っていましたが。
あー、そうだ。おばあちゃんだ。絶対ステップ踏んでる。
祖母は社交ダンスがとても上手な人でした。
お墓参りに一定期間行かないと祖母から何かしらのアピールが入ります。
私が初めて見た心霊写真はお墓で写真を撮った時に祖母がダブルピースして写ってました。

くだらないことをいつも笑って楽しんでくれた私の大好きなおばあちゃん。

例え偽物だと分かっているダイヤモンドだって大事にしてずっと眺めて大切にしていたあの頃の私をずっと否定しなかったおばあちゃん。
きっともうすぐであっちで社交ダンスの大会だから。
この爪で応援してるよ♡

折り方が結構簡単でした( ´ ▽ ` )ノ